1945年3月12日:アンネ・フランク命日
2005年 03月 12日
1945年の今日、ベルゲン・ベルゼンの収容所で、「アンネの日記」のユダヤ人少女、アンネ・フランクが亡くなりました。
オランダのアムステルダムで両親・姉・父の同僚のペルス一家と歯科医プフェファー氏らと共に2年に及ぶ隠れ家の生活を送り、やがてドイツ・アムステルダム駐留軍保安警察に密告・逮捕され、ヴェステルボルクのユダヤ人通過収容所に送られました。そこで1ヶ月過ごした後、全員アウシュビッツの強制収容所に送られ、その後バラバラに引き離されました。
アンネは姉マルゴーと一緒にベルゲン・ベルゼン収容所に送られ、そこは絶滅収容所ではなかったものの、居住環境は劣悪でチフスなどの疫病が蔓延し、姉妹は収容所生活で体力が衰え、チフスにかかり亡くなりました。
終戦後、解放された父オットー・フランク氏により、アンネの日記はタイプし直され、関係者の間にごくわずかな冊数が配られましたが、それが評判を呼び、まずオランダ版が出版されてほどなく世界各国の言語に訳され長く人々に読まれています。
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オランダのアムステルダムで両親・姉・父の同僚のペルス一家と歯科医プフェファー氏らと共に2年に及ぶ隠れ家の生活を送り、やがてドイツ・アムステルダム駐留軍保安警察に密告・逮捕され、ヴェステルボルクのユダヤ人通過収容所に送られました。そこで1ヶ月過ごした後、全員アウシュビッツの強制収容所に送られ、その後バラバラに引き離されました。
アンネは姉マルゴーと一緒にベルゲン・ベルゼン収容所に送られ、そこは絶滅収容所ではなかったものの、居住環境は劣悪でチフスなどの疫病が蔓延し、姉妹は収容所生活で体力が衰え、チフスにかかり亡くなりました。
終戦後、解放された父オットー・フランク氏により、アンネの日記はタイプし直され、関係者の間にごくわずかな冊数が配られましたが、それが評判を呼び、まずオランダ版が出版されてほどなく世界各国の言語に訳され長く人々に読まれています。
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by toygarden
| 2005-03-12 11:36
| 今日は何の日?